私が開院した理由

ここでは、現在の場所で整体院を開くまでのお話をさせていただきます。
とても長いのですが、よろしければお付き合いください。

サラリーマンには向かない、ということは

2005年6月のある日、
「まことに残念なんですが、今回は、ご縁がなかったということで」
という言葉を聞いて、頭がボーとした感じになった。

その1週間前に、私は就職試験の面接を受けていた。
それは、東京から愛知に帰ってきて、
心機一転、新たな仕事に就くための書類選考後の面接だった。

「面接をさせていただいた限りでは、当社を支えてくれそうだと感じました」
「ぜひ、うちに来て欲しいです」
と人事の方に言われた。

「ただ、当社では、みなさんに適正テストを受けていただいていまして」
「いや、長谷川さんなら絶対に問題ないと思うのですが、一応みなさんに受けてもらうことになっているので」
という説明があり、適正テストを受けることに。

「では、1週間後に結果をお伝えしますので、ご来社ください」
と言われて、面接試験は終了した。

私は、すでに就職は決まったものとして、
どういうルートで通勤しようかと考えていた。

そして、1週間後、結果を聞きに行ったところ、
冒頭の言葉を聞くことになった。

担当者は、
「このテストは、今までの経験から、とても信憑性があるんですよ」
「長谷川さんが悪いとかいうのではないんですよ」
「面接の結果は申し分ないんですが、このテストから判断すると、当社で働いてもらうわけには・・・」

私は、それまでにも、何度か面接を受け、就職してきたことがあるが、
このようなテストで落とされたことがなかったので、
とても驚いてしまった。

「テストの結果はお渡しできませんが、ほんの少しだけ、ご覧になりますか?」
と言われたので、
「ぜひ、見せてください」と答えた。

テスト結果の書かれた紙を見ると、いくつかの項目が目に入ってきた。
はっきりとは内容を覚えていないのだが、
「協調性に乏しい」「命令に対して服従しない」「常識に重きを置かない」などのようなニュアンスがあったように思う。
そして、「サラリーマンには向かない」という言葉も。

少しショックを感じながら、続きを見てみると、
「向いている職業は自営業、芸術関係」という言葉が目に入ってきた。

『そうか、このテストは、会社勤めに向いているかどうかを見ているんだ』
『つまり、逆を言えば、自営業やフリーで仕事をするには、俺の性格は強みになるんだ』
と、自分の中に新たな面を発見したような感動とともに、自由を得た感覚が起こってきた。

「分かりました。ご縁がなかったということで。どうもありがとうございました。」
と言って、その会社を後にした。
なぜか、気持ちがスッキリとして、捕らわれの身から解放されたような喜びを感じた。

整体を職業として意識するように

その日から、「自営業をするなら、どんなことをしようか」
と考える日々が続いた。

振り返ってみれば、その数年前から、「サラリーマンではなく、自分でなにかできたらいいな」と思うことが、たびたびあった。

「健康関係が好きだから、サプリメントや健康食品を販売しようか」ということが浮かんだのだが、
サプリメントなどは、あくまで補助であり、「摂らなくて済むなら、摂らない方がいい」と思い、気が進まなかった。

そうして、自分のことを深める毎日が続いた。
これほど、仕事について、将来について考えたのは、
テレビ番組の制作をやると決めたとき以来だった。
とても大きな人生の転機だと感じていた。

来る日も来る日も、考えが堂々巡りしていた。
そうするうちに、体調が悪くなってきてしまった。
右目の視界がおかしくなってきたのだ。
中心に黒丸があって、その部分が見えないのだ。

インターネットで調べると、どうやら強いストレスが続くことで、
起こる症状のようであった。

時を同じくして、心臓の鼓動にも異変が起こった。
規則的な鼓動が続いたと思ったら、急に、「ドドドド」と速くなったり、ゆっくりになったりと、あきらかにおかしな状態になっていた。

今にして思えば、自律神経が乱れてしまっていたのだろう。

そうして、体に異変を感じながら考えた結果、
おぼろげながら一つの結論が見えてきた。

私は、一時期、空手の指導をしていたことがあった。
そして、知らない人から「仕事は、先生をしているんですか?」と、たびたび聞かれることもあった。

「人に教える仕事が向いているのではないか」
「でも、今さら、学校の先生は無理だし、イヤだし」
「塾で勉強を教えるのも、学生時代に散々やったしなあ」
「空手の指導では生活ができないだろうし、体力も続かないだろう」

そんなことを考えていると、ふと、ある知人のことを思い出した。
彼は、整体の学校に通ったのち、整体師をやっていた。
ただ、もう、何年も会っていなかったので、その後の消息は分からないのだが。

「整体というのも仕事としてあるんだなあ」
健康関連で、先生で、場合によっては、人に指導することもある、という面では、私の特性に合っていると感じた。

ただ、私の中では、
「整体は、なんだかカッコ悪い」「社会的信用はどうだろう?」「邪気を吸って病気になりやすいとも聞くなあ」など、否定的な考えが出てきた。

しかし、不思議なもので、一度「整体」という言葉が浮かんで来てからは、整体師について、いろんな情報が入ってくるようになった。

「なるほど、マッサージみたいなリラクゼーションだけでなく、痛みを改善して喜ばれる整体もあるんだ」と分かってきて、気持ちが動き始めた。

そうなると、動きが加速するようで、「どんな整体を習ったらいいんだろう?」と考えるようになっていた。

整体の研修を受けることに

インターネットで、どの整体を勉強するかを探していたところ、とても興味深い療法を見つけた。

特殊な検査法を使うことで、名人芸とされるような結果を出せるというものだった。
しかも、刺激が少なく、気持ち良いという優れものだった。

さっそく見学に行き、その場で入門することを決めた。
そして、2005年8月から研修を受けることになった。

研修は、和やかなムードで、はじめて聞くようなことが多く面白かった。
毎日のように、両親、妻や知人などを練習台にして、技術を磨いていった。
「気持ち良くて、体がラクになる」という感想をもらえることは自信になった。
それとともに、人に喜んでもらえることが、とてもうれしいと感じた。

そうして、半年間の研修と実践を経て、その療法の認定証をいただいた。

開業と挫折

2006年3月、開業届けを出して、いよいよ整体師としての仕事を始めることになった。
当面は、出張でやるつもりだった。

しかし、チラシをまいてみたものの、まったく反響がない。
いろいろと工夫をしてみるものの、整体の依頼は、ほとんどなかった。

そのうちに、少ないながらも、整体の依頼を受けて施術をしたが、
施術をするだけで精一杯で、コミュニケーションも、うまく取れていないのを感じた。

このままでは生活ができないので、とりあえず、アルバイトで生活を支えながら整体を続けることにした。

しかし、アルバイトをして疲れた状態で経営できるほど、自営業は甘くなかった。
第一に、経営というものが、よく分かっていなかったのだ。

そんな生活が1年以上も続き、徐々に、焦りと苛立ちが高まっていった。
「もう、整体はあきらめようか」

覚悟を決めて、全てを賭ける

2007年の夏ごろ、一つの考えを固めつつあった。
「出張でやっているから、うまく行かないんだ」
「店舗を借りたら、どうだろうか」

しかし、店舗を借りるには、まとまった資金がいる。
また、維持するためには、毎月、かなりの額が必要になる。

店舗を借りることを考えている一方、
もう一つ興味を惹かれるものがあった。

それは、新たに整体の手法を学ぶことだった。
その整体の研修は、師匠の整体院に泊り込みで、実際の施術現場を体験しながら、技術も学ぶものだった。

その研修を卒業した人たちの多くは、技術力、経営力ともに見違えるように高まっているという「虎の穴」のような研修所だった。

「今のままで店舗を持っても、経営法が分からなければ、すぐにダメになってしまう」と感じたので、「虎の穴」に入門することを決めた。

そして、百数十万円という大金を、なんとか集めて、全てを賭けるつもりで、浜松にある師匠の整体院での研修に入ることになった。

驚異的な整体院

師匠の整体院には、毎日、20~30人くらいの来院者がつめかけていた。
施術時間は15分。1回の施術料は6,000円。
それでも、連日、たくさんの人たちが来ていた。

いろんな体の不調を訴えて来院する人たちが、短時間の施術で改善して帰っていくのである。
「この技術を身につけたい」と思い、必死で修行をした。

師匠は、とても厳しかった。
手の握り方、角度、力の入れ方、動きの速さ、呼吸に合わせることなど、ダメだしの連続であった。

それでも数週間経つ内に、少しずつ体が覚えていくのを感じた。
そして、来院される人への施術も、少しずつ任せてもらえるようになった。

ここには全国から、たくさんの研修生が来ていた。
整体師だけでなく、接骨院の先生もいて、技術以外にも、いろんな情報を得られた。

6ヶ月間の研修を終えて、修了証をもらうときには達成感と同時に、ゆるぎない自信を身につけることができていた。

小さく再スタート、そして、さらなるステップ

2008年3月、自宅の一室を使っての再出発。

古い家で、生活感のただよう空間だったが、
新たに来院される方、定期的に来てくださる方が、徐々に増えてきた。

どんな不調を抱えている人にも、なんらかの変化を出すことができるようになったことが、大きな要因だったと思う。

しかし、それ以上に、師匠と接するうちに、
整体師のあるべき心構えが、私の中に育ってきたことで、
考え方や態度を変えてくれたのだと思う。

2008年11月、自宅では手狭になったので、現在の施術所に移転した。
ようやく、店舗と呼べる場所を持つことになったのだ。

「虎の穴」での修行以降も、多くの技術を学んできた。
そして、より多くの方たちのお役に立つことができるようになってきた。

今にして思えば、あの就職試験で落とされて、本当に良かった。
あれがあったから、今の自分があるのだ。

開業当初の私が、今の私を見たら、どう思うだろう?
「あんな風になれたら・・・」と思うのかもしれない。
しかし、「まだまだ出来ていない」と感じることが、たくさんある。

今も、技術の習得は続けている。
技術修行は、整体師をしている限り、一生続くだろう。

来院された方たちの喜びの声が、今日も、私に元気を与えてくれている。

長谷川自然療法院